約束は愛と同じ形をしている



ふあ、と隣から聞こえた音につられて、俺もひとつ欠伸をする。見れば、うつらうつらと船を漕ぐ至さんがいる。

「眠いっすか?」

「ねむくない

明らかに眠そうな声音に反した返事の理由は多分、1年前のちょうど今頃の俺にあるだろうことを知っているだけになんとも言えない。

「ことしこそ、ふたりで、としこしする

「いや、ほんとその節は申し訳なかったっすけど、それじゃ無理でしょ」

「むりじゃない!」

昨年の年越しは俺が寝落ちしてしまって、その瞬間を二人で迎えられなかったことを至さんはずっと根に持っている。だから今年こそはと意気込んでいるのは当然分かっているのだが。

「最近忙しかったから疲れてるでしょ」

仕事で問題が起きたとかで、休みに入るギリギリまで早朝に寮を出て深夜に帰ってくるという毎日を過ごしていた至さんは、仕事納めも予定より遅かった。年末ということもあってかなり問題の解消が難航したらしく、いつも以上に疲れ切っていたように見えたし、そのうえ、ゲームも手を抜かないのだから睡魔に打ち勝つのは難しそうだ。ほぼ閉じきった瞼の縁を彩るまつ毛が、重力に逆らおうとふるふると震えている。

「つづるぅ、あとなんぷん」

「え、」

「としこし!」

その様子に見入っていたため反応が追いつかない。舌っ足らずながらもクエストをクリアするために必死なようだ。手元のスマホで時間を確認してから、少し考えて、口を開く。

「あ、ああ、えっと…30分くらいっす」

かみんする、から、おこして」

スマホから視線を戻した途端に膝の上に至さんの頭が乗せられる。顔にかかった髪の毛を払って覗き込むと、既に眠りに身を委ねているようだった。ゲームも手につかないような状態で、何言ってんだかと呆れ半分で体制を戻す。そのままふわふわとした柔らかな髪を撫で付けたり、手櫛を通してみたり、ここぞとばかりに堪能しているうちに、ごおん、と鐘の音が聞こえてくる。至さんが眠りについてから五分ほどのことだった。

「至さん、嘘ついてごめん」

綺麗な顔で眠っている恋人の頬を指でなぞる。むずがるかと思ったのにその表情は柔らかくなって、こちらの口元が緩んでしまう。一緒に年越しをしたいから頑張って起きていようとする姿はかわいいけれど、疲れた身体をゆっくり休めて欲しいという気持ちがどうにも勝ってしまった。

勿論今日しか、今年しか、チャンスがないというのであればその限りではなかったのかもしれないが、

「来年こそふたりで年越し、しましょうね」

そうではないと、この瞬間も信じられるから。

「あけましておめでとうございます。今年もそばにいさせてくださいね」

ぐっと頭を下げて、秘密のキスをひとつ。物語では眠り姫には目覚めのキスが定石だけど、姫とは程遠いこの人には穏やかな眠りが訪れることを祈って。

これからの誓いと、精一杯の愛を込めて触れた唇は、年が明けても変わらぬぬくもりを伝えていた。

限りのない夢をみる

「ハッピーニューイヤー!」

舞い上がる銀テープが色とりどりの照明を反射して煌めく様子は、何度見ても心が躍る。客席へと目線を落とせば、それ以上にキラキラとした瞳が見える。

事務所総出どころか、アンサンブルスクエアのアイドルが全員出演のカウントダウンライブは大きな話題を呼び、チケットは即完売、会場のホールは満員御礼だ。歓声と熱気に包まれてこれ以上ない至福の瞬間を感じたあと、間もなく始まったイントロに、緩む口元をきゅっと締め直してステップを踏む。とは言っても四つの事務所が入り乱れている分いつもよりもラフな雰囲気で、肩を組んだり、顔を近づけて歌ったりと様々にこの瞬間を楽しんでいるようだった。周りの様子をチェックしていると、急に右手が後ろに引かれる。その勢いをなんとか堪えて振り向くと、チャームポイントだというその長い髪が楽しそうに跳ねているのが見えた。

「燐音くん、ぼーっとしてちゃダメっすよ」

「俺っちがいつボケッと突っ立ってたってェ」

「そこまでは言ってない!!」

掴まれた右手に力を入れながら言い返すと、ブンブンと腕を振って逃れようとする様子が面白くて笑う。そうすればニキの動きも収まって、怪訝な顔でこちらを窺ってきた。

「なに笑ってんすかぁ」

「おめェこそなにおてて繋いでなかよしこよししてんだよ、おかしいだろォが」

「えー、周りもこんな感じだし、手くらい繋いでてもおかしくなくないっすか?」

そう言いながらキュッとまた手を握るこいつは、自分から手を繋いだり離そうとしたり全く理解不能だ。同じようにニキにとっても、俺がその行動でどれだけ振り回されているかなんて理解できないんだろう。そうとはわかっていても、してやられてばかりいるのは性にあわない。するりとその手を抜け出しその指の股をさすりながら、再び自らの指を差し込む。所謂、恋人繋ぎというやつだ。

「ステージの上ならこンくらいやんないとなァ!」

ニキの返事も聞かずステージのセンターに躍り出る。客席からは悲鳴にも似た歓声が上がる一方、ステージ上から冷たい視線をちらほら感じるのは気の所為ではない、というのは重々承知だ。

そのまま割り当てられたフレーズを歌い切り、ようやく繋いだ手の先を振り返るとそこには僅かに頬を染めながら、それでも楽しそうに笑う男がいる。

いつもは大きく開けて料理を味わう口が、遠慮がちに言葉を紡いだ。

「燐音くん、」

おう」

「楽しいっすね」

「そうだな」

「また、見れるっすかね、この景色」

来年、また、見るぞ」

「うん」

未来の約束を、伝染したみたいに熱くなる頬と、繋いだ手のひらの温度に刻んで、もう一度愛する人の手を強く握りこんだ。同じ強さで握り返されることが幸せだと初めて知って、まだまだこいつには教えられてばかりだと鮮やかな光を照り返すように笑んだ。


     ◆◇


「天城、起きてください」

肩を強めに揺すられて、自分が眠っていたことに気づいた。

「ん~、メルメルゥ?」

「天城?まだ出番があることを忘れているのですか?」

冷たい口調に溜息をひとつ。プロ意識の高いこの男には見つからないようにと思っていたのに、どうやら割り当てられた楽屋のど真ん中でやらかしてしまったようだ。

「わーってるよォ。だけど次っつっても終盤のコーナーだし、その前に声はしっかり起こしとくってェの」

寝こけていたソファから身を起こそうとして初めて、自分の他に誰かが寝ていることを知る。

「ならば、ふたりでしっかりと準備をお願いします」

それだけを言うと去っていく背中が廊下に消えたのを見届けてから、馴染みのある体温の名前を呟いた。

「なんでおめェまで寝てんだよ、ニキ」

もたれ掛かる体をそっと抱きしめて、囁く。

「この先ずっと同じ景色を見よう。楽しいことばっかじゃないけど、その分幸せをたくさん見つけよう」

擦り寄ってくる様子が応えてくれているように見えるのは、都合のいい勘違いかもしれない。でもそれでもいいのだ。この胸に満ちる想いのまま、唇を落とした。

「今年も、また、よろしくな」

ありふれた奇跡と眠る

ふあ、とすぐそばで気の抜けた声が聞こえた。見ればそのエメラルドグリーンは随分と眠たげな色をしている。

「え、もう眠い?」

いつも弟たち寝かしつけてそのまま寝てたんで、あんま大晦日に夜更かしってしたことないんすよね」

「まじか」

綴らしい言葉に少し笑いながら、しかし自分の計画が頓挫してしまうことは避けたいと言葉を重ねていく。

「じゃあ、ゲームしよ。この前、世界観興味あるって言ってたやつ」

「んー、」

「ちょっと頭使うやつの方が目が覚めるか脱出系?推理系?」

「んー

「いや、おい、」

いくつか提案をしたものの、その返事の曖昧さで『綴を寝かさない』というクエストの難易度が格段に高いことを悟る。てか、寝かさないってなんか言い方がアレだな.......じゃなくて。今、寝られては困るのだ。揺さぶってでも起きていてもらわねば!と、自分よりしっかりした肩に伸ばしかけた手を思わぬ力で引かれ、俺は倒れ込んだ。もちろん、綴の上に。

お前ほんとは起きてんじゃないの?と腰に回る手の気配を感じながら文句を言うべく体を起こすと、もうその瞼は完全に閉じていた。

は?!お前、まじで寝るの?!」

直前ですり替わってしまった文句の言葉に顔を顰めた、目の前の男の手が俺をまた抱き寄せる。

「っぶ」

「いたるさん、うるさ...

「ちょっと!綴!もうすぐ年越し!起きろって!」

「おれはもうむり、ねる...

「なんで!おきろ!」

こうやって夜更かしをしたいと強請る弟たちを寝かしつけてきたのだろうか、などと一緒頭をよぎるが、そんなことに気を回しているあいだにコイツは寝てしまう。そんな確信の元、先程より近づいた体を揺する。

「夜更かしも徹夜も得意のもんだろ!」

「だって、」

そんなやりとりの中に、微睡みが混ざる緩やかな声が落ちた。

「あしたはいたるさんと、いちにち、すごせるから

はやくねなきゃ、と空気の中に言葉を溶かして、遂にこの男は夢の世界へと旅立ってしまった。呆然とその寝顔から目を離せない俺を残して。

言葉なく穏やかな寝顔を見つめる俺の耳に、ごおん、と鐘の音が聞こえた。はっ、と時計をみれば2つの針はぴったりと重なっていて、一気に力が抜けた。

別に何があった訳でもない。ただ、1年の終わりと始まりをともに過ごして、いちばん最初におめでとうとありがとう、そしてよろしくを伝えたいと殊勝なことを思っただけだった。それが、こんなに、難しいことだとは思いもしなかったけれど。

108の鐘の音には悪いけれど、たったひとつのこの可愛らしい煩悩は残念ながら今年と、来年に持ち越しとさせてもらおう。と思って、はたと気づく。

「はしゃいでんじゃん

俺もお前も、と続く言葉を聞き届ける人は誰もいなくて、恥ずかしさと幸せを新年からひとりで噛み締める。また来年、と見えないものを確証もないのに手放しで信じてしまっている自分。世が浮き足立つ瞬間よりも自分と過ごす時間を特別と、そう考えてくれる綴。当たり前で、当たり前ではない今日の向こう側にある未来に、ふたりとも子どものように胸躍らせている。それがなんだかくすぐったくて、嬉しかった。

年が明けた瞬間とはいかなかったが、一番乗りは朝を迎えてからでも遅くはない。そうそう俺にとって今は1231日の2410分だから、と呟いてしまった我ながらむちゃくちゃな理論にひとり笑いながら部屋の灯りを消した。


脱力したままぺたりと綴の胸に耳を当てる。とくり、とあたたかい音が聞こえる。子守唄代わりの愛しい鼓動を独り占めするように布団を被って、今年もいい1年になりそうだと目を閉じた。




ありふれた奇跡と眠る』




(至さん、おはようございます)

(ん~、はよ…)

(今日はどこに行きますか?)

(…お前といれるならどこでも)

(…そっ、すか至さん)

(なに?)

(今年もよろしくお願いします)

(…ん、よろしく)



(今年もまた、隣にいてね)




―――綴至に今年も幸あれ!