ありふれた奇跡と眠る
ふあ、とすぐそばで気の抜けた声が聞こえた。見ればそのエメラルドグリーンは随分と眠たげな色をしている。
「え、もう眠い?」
「…いつも弟たち寝かしつけてそのまま寝てたんで、あんま大晦日に夜更かしってしたことないんすよね」
「まじか」
綴らしい言葉に少し笑いながら、しかし自分の計画が頓挫してしまうことは避けたいと言葉を重ねていく。
「じゃあ、ゲームしよ。この前、世界観興味あるって言ってたやつ」
「んー、」
「ちょっと頭使うやつの方が目が覚めるか…脱出系?推理系?」
「んー…」
「いや、おい、」
いくつか提案をしたものの、その返事の曖昧さで『綴を寝かさない』というクエストの難易度が格段に高いことを悟る。てか、寝かさないってなんか言い方がアレだな.......じゃなくて。今、寝られては困るのだ。揺さぶってでも起きていてもらわねば!と、自分よりしっかりした肩に伸ばしかけた手を思わぬ力で引かれ、俺は倒れ込んだ。もちろん、綴の上に。
お前ほんとは起きてんじゃないの?と腰に回る手の気配を感じながら文句を言うべく体を起こすと、もうその瞼は完全に閉じていた。
「…は?!お前、まじで寝るの?!」
直前ですり替わってしまった文句の言葉に顔を顰めた、目の前の男の手が俺をまた抱き寄せる。
「っぶ」
「いたるさん、うるさ...」
「ちょっと!綴!もうすぐ年越し!起きろって!」
「おれはもうむり、ねる...」
「なんで!おきろ!」
こうやって夜更かしをしたいと強請る弟たちを寝かしつけてきたのだろうか、などと一緒頭をよぎるが、そんなことに気を回しているあいだにコイツは寝てしまう。そんな確信の元、先程より近づいた体を揺する。
「夜更かしも徹夜も得意のもんだろ!」
「だって、」
そんなやりとりの中に、微睡みが混ざる緩やかな声が落ちた。
「あしたは…いたるさんと、いちにち、すごせるから…」
はやくねなきゃ、と空気の中に言葉を溶かして、遂にこの男は夢の世界へと旅立ってしまった。呆然とその寝顔から目を離せない俺を残して。
言葉なく穏やかな寝顔を見つめる俺の耳に、ごおん、と鐘の音が聞こえた。はっ、と時計をみれば2つの針はぴったりと重なっていて、一気に力が抜けた。
別に何があった訳でもない。ただ、1年の終わりと始まりをともに過ごして、いちばん最初におめでとうとありがとう、そしてよろしくを伝えたいと殊勝なことを思っただけだった。それが、こんなに、難しいことだとは思いもしなかったけれど。
108の鐘の音には悪いけれど、たったひとつのこの可愛らしい煩悩は残念ながら今年と、来年に持ち越しとさせてもらおう。と思って、はたと気づく。
「はしゃいでんじゃん…」
俺もお前も、と続く言葉を聞き届ける人は誰もいなくて、恥ずかしさと幸せを新年からひとりで噛み締める。また来年、と見えないものを確証もないのに手放しで信じてしまっている自分。世が浮き足立つ瞬間よりも自分と過ごす時間を特別と、そう考えてくれる綴。当たり前で、当たり前ではない今日の向こう側にある未来に、ふたりとも子どものように胸躍らせている。それがなんだかくすぐったくて、嬉しかった。
年が明けた瞬間とはいかなかったが、一番乗りは朝を迎えてからでも遅くはない。そうそう俺にとって今は12月31日の24時10分だから、と呟いてしまった我ながらむちゃくちゃな理論にひとり笑いながら部屋の灯りを消した。
脱力したままぺたりと綴の胸に耳を当てる。とくり、とあたたかい音が聞こえる。子守唄代わりの愛しい鼓動を独り占めするように布団を被って、今年もいい1年になりそうだと目を閉じた。
『ありふれた奇跡と眠る』
(至さん、おはようございます)
(ん~、はよ…)
(今日はどこに行きますか?)
(…お前といれるならどこでも)
(…そっ、すか…至さん)
(なに?)
(今年もよろしくお願いします)
(…ん、よろしく)
(今年もまた、隣にいてね)
―――綴至に今年も幸あれ!